よかったね、の行き違い

診察日

テストの結果は良好

お薬が効いているみたいですね、よかったですね、と医師

たしかに、意外な結果ではあったが

 

前に検査した時はたまたま調子が悪かったのかもしれないですね

いや、そんなことはない

 

日付を答えられたのは

娘(姉)の誕生日が近いなと思ったから、と母

関連づけられるのもいいことですよと医師

 

このまま診察が終わりそうだったので

家族の話も聞いてくださいと切り出す

 

話していて、語気も強くなり

母が俯くのが見過ごせなかったらしい

医師が

「それを話してどうしたいんですか?」という

 

家族の目線で生活の様子を伝えるべきと思った

徘徊のことも伝えなければならなかった

 

「せっかくご本人喜んでいるのに、そうやって否定するような話ばかりして、どんな表情していたと思います?」

「患者さんを侮辱するのは僕は許せないんです」と医師

 

まだ話は最後までしていない

テストの結果がすべてではない

薬の効果だけでもない

家族、介護サービス、それらを導入するまでの家族の労力、薬を飲むための家族の工夫、

そう言ったもので成り立っている

 

そしてその家族は唯一私しかいない

 

 

徘徊の話を聞いて医師の態度が変わった

大事な情報を聞き逃すところだったと謝罪した

 

たまたまうまくいっていることの連続であると私は思っている

それは本人の改善を否定しているのでも侮辱しているのでもない

 

運良く、事故に遭わなかった

運良く、親切な方に助けてもらった

運良く、

運良く、

 

真相はわからないけれど

 

それを、よかったね、で済ませることができない自分がいる